小さな村の小さな建築家たち 集落のベンチとお墓の集会場

小さな村の小さな建築家たち

集落のベンチとお墓の集会場

物語

世界で建築家として活躍していた山下を、故郷の奄美に呼び戻したのは母校からの体験授業の誘いで、それは地域で困っていることを解決するためのものづくりの授業でした。

「与えられるだけではなく、自分の手で、身の回りの環境をつくれる、変えれる」という希望を、小さな建築家となった16名の子供たちに共有しました。

学校のために、集落のために、みんなで話し合って決めた「ベンチ」づくりは、小さな声を聴くために耳をそばだて、解決するためにみんなで考え、実行するというプロセスを踏みました。この物語は山下のものづくりの原点を映し出しています。

背景・課題

山下の生まれ故郷の屋仁集落の子どもたちに、建築家としての仕事を体験するという趣旨のワークショップを行う。

山下の取組

「小さな村の小さな建築家たち」というタイトルで当時の全校生徒16名と取り組んだ。

効果・成果

小さな建築家の案を受けて、施工監督の山下が施工図を描き下ろし、職人である父兄・先生たちのワークショップにてベンチを製作。

次なる展開

集落から要望のあったお墓の前の集会所を作るため、山下が図面を描き、屋仁集落の大人たちと完成させた。

今後の展望

子供から大人まで分け隔てなく、どんな小さな声も聴き、チームを組んで解決に導くことこそ、一貫して変わらない山下の姿勢。


背景・課題

山下の出身は、奄美大島の北部に位置する100世帯ほどの屋仁(やに)という小さな集落です。集落全員が家族のような絆で結ばれている傍ら、外部からの情報も少なく、職業の選択も限られていました。

山下自身もかつてそうであったように、「建築家」という職業は子どもたちはもちろん、学校の先生や集落の人たちにも周知されていませんでした。そこで、子どもたちに設計者と建築家の違いを伝えながら、実際に建築家としての仕事を体験するという趣旨の授業を行うことにしました。

山下の取組

授業のスタート

2014年に母校の小学校から依頼され、「小さな村の小さな建築家たち」というタイトルでワークショップを3回行うことになりました。そこで山下は小学校で困っていることや何か足りないものについて、当時の全校生徒16名と考え、その親とともに製作することを提案しました。

1回目の授業では、建築家とはどんな職業で何をする人かを簡単に伝え、何を作れば学校や集落のためになるかを、全校生徒で意見を出し合いました。

それぞれの提案の後に話し合いを行い、最終的に15人がツリーハウス、1人がベンチを作りたいと意見が別れました。その1人の子がベンチを提案した理由は、1年に1回の運動会の際に、子供から大人まで座れるベンチが必要だと考えたからです。屋仁小学校の運動会は、参加人数が少ないために子供の種目と集落住民が参加する種目が半分ずつ用意されており、実際にほとんどの集落住民が参加していました。

山下は子どもたちに、「建築家は自分のことよりも、みんなや地球に良いことを考える人である」ということを伝え、再度話し合った結果、集落のみんなのためのベンチを作ることに決定しました。

「みんなの、82(屋仁)ベンチ計画」

2回目のワークショップでは、ベンチ作りのタイトルとコンセプトを山下から提案し、子供たちの絵によるコンペティションを開きました。

①身の回りにある自然の素材を使って、奄美らしいベンチを作る。
②大人も子供も集落のみんなが座れるようなベンチを作る。

どんなベンチが良いかを考えるフィールドワーク
屋仁小学校4年生 諏訪安莉さんのスケッチ

効果・成果

16名の設計図の提案を受け、上図の4年生の女の子の案が選ばれました。その案は子供から大人まで座れる、高さの違う5枚の花びらで構成されたハイビスカスのベンチでした。この小さな建築家の案を受けて、施工監督の山下は施工図を描き下ろしました。

提案されたスケッチを基に、山下が描いた製作図

3回目の授業では小さな建築家たち、施工監督の山下、職人である父兄、先生たちが参加するワークショップを行い、実際に製作されました。

後日、子供たちが塗装しそのベンチは「ハイピイス」と名付けられました。ハイビスカスであり、ピースサインにも似ていて、イスでもある、そんな素敵な名前をつけられ、今でも校舎のエントランスホールにイスわっています。(笑)

エントランスホールの「ハイピイス」

次なる展開

屋仁集落の大人のワークショップ「お墓の集会場」

屋仁集落で、子供たちとのベンチ作りが完成した後、区長からの相談を受けました。それは、お墓の前に納骨等を行うときの集まるスペースがなく、道路で行っていたので、目の前に位置する山下家の畑の一部を借りて広場を作りたいというものでした。その相談を受けて山下が図面を描き、若者たち(?)約15人が集まり、3ヶ月かけて製作しました。

お墓の集会場の平面図

正面には、地域周辺で採取できる色の違う土と酸化マグネシウム、砂利、砂、水を混ぜて叩いた版築壁を作りました。くの字の壁には、集落の土を混ぜてつくったオリジナルのコンクリートブロックを積み上げていきました。

今後の展望

子供から大人まで分け隔てなく、どんな小さな声も聴き、チームを組んで解決に導くこと。これは様々な規模、あらゆる地域で活動する上でも一貫して変わらない山下の姿勢だと言えます。もしもあなたの地域に何か解決できない問題があったなら、おそらく、山下にしかできない方法でそれに取り組むかもしれません。

文責:奄美設計集団 広報部




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