伝泊 古民家 新プロジェクト
2016年に2棟の古民家を改修してスタートした宿泊施設「伝泊」は、2022年までに古民家16棟を含む、32棟45室まで拡大しました。その中には様々な形態・価格帯の宿がありますが、「建築家・山下保博として故郷の奄美にできること」の体現として誕生した「伝泊 古民家」シリーズは、奄美群島内外で展開が広がっています。
空き家を利活用することでその集落の伝統や歴史、人の思いを受け継いできた山下ですが、様々なケースをみる中で新たな課題も感じる機会も増えてきました。そこで、「持ち家の管理に困ってはいるが完全に手放すことはできない」というジレンマを抱えた人に提案できる、「伝泊 古民家」の次なるかたちの模索が始まったのです。
「伝泊」の取り組みをする中で、空き家のさらなる増加やオーナー側が抱える様々な悩みに直面する。
山下自らの実家を利用し、改修時にオーナーが宿泊することを前提とした工夫を加えることで、課題を解決しえるモデルケースとしての宿泊施設を生み出した。
奄美らしさを堪能できる古民家の良さをより多くの方に届けるべく、備品を充実させるなどして宿のグレードアップを図っている。
集落の家や墓、山や畑を管理する仕組みを構築して、集落の歴史・文化・人々の暮らしを次世代へと繋いでいく。
奄美の空き家問題と伝泊
九州から遠く離れた離島の奄美大島には大学がなく、高校卒業と同時に島外の大学へ進学するため、例年ほとんどの若者が島を出ていきます。就職や結婚など人生の分岐点を移り住んだ先で迎え、そのまま都会に移住する人が多くいるため、生家の管理が困難になり、奄美大島の空き家問題を生み出す要因になっています。
平成30年に実施された住宅・土地統計調査によると、全国の空き家率が13.6%に対し鹿児島県は18.9% と、全国平均を上回っており、空き家問題はさらに深刻化しています。
そういった背景から、建築家・山下は奄美大島の空き家問題に着手していきました。プロジェクトのオーナーになり、空き家を宿泊施設に改修してお客さんに貸すという仕組みの「伝泊」を通して、その解決を目指しています。
山下の生まれ故郷・屋仁集落
奄美大島は360を超える集落があり、それぞれの文化が少しずつ異なっている世界でも稀有な地域です。山下の故郷である「屋仁集落」は奄美大島最北端にほど近く、総世帯数77、総人口180人(2022年9月)のこぢんまりとした地域で、豊かな海と山に囲まれた手つかずの自然や希少な動植物など、奄美独自の文化が色濃く残っています。
山下はそんな場所で5人兄弟の次男として生まれ、18歳まで屋仁の実家で暮らしました。
しかし、現在となっては兄弟も奄美を離れて遠方で暮らしたり別の集落に嫁いだりと、実家も空き家状態になり、管理に苦労していました。
一方で、自身が空き家を改修して宿泊施設をつくる取り組みをしていると、お盆と正月のためだけにしか使用していないものの、仏壇や家族に関する資料の保管のため完全に手放すことができずに、昔ながらの広いつくりの家の管理に悩む人が多いことを知りました。
その解決策として、山下は自らの実家を改修し、通常は宿泊施設として、帰島の際は山下本人及び兄弟が宿泊するといった、空き家問題解決のための新しいモデルケースに挑戦することを決めました。
「伝泊 古民家」シリーズ8棟目の誕生
2022年3月、築約60年の山下の実家は改修され、「伝泊 古民家」(奄美大島)の8棟目となる「サンゴ石垣と庭木の宿」に生まれ変わりました。
宿の名称にもなっている珊瑚石垣は、文字通り珊瑚が積み重なってつくられており、台風の強い風から家を守るために必要な建築様式の一つとして、奄美の景色には欠かすことができない「たからもの」です。
しかし珊瑚は海の生態系を守る貴重な存在であるため、現在は法規制で新たに採取することができなくなっていることから、貴重な文化資源になっているのです。
また、約100年前につくられた宿の珊瑚石垣は地中1mの深さまで及んでおり、奄美のなかでも稀有な石垣です。
珊瑚石垣と同じく宿の象徴である庭木は、山下の父が長い時間をかけて育ててきたもの。
今なお美しいそれらの植物を存分に楽しめるよう、大きな窓と縁側が配置・デザインされています。
他にも、既存の外壁の上から杉板を貼ることで、特に塗装をせずに経年劣化で徐々に杉の色が庭木や集落の風景に馴染んでいく様子を楽しめるようにつくられています。時間を感じられるデザインの建築は、ここから始まる新たな未来に寄り添い、見守ってくれることでしょう。
なお、宿には山下しか入ることのできないプライベート部屋があり、それによって仏壇や家族に関する資料の保管を可能とするほか、日用品・衣服を持ち運ぶことなく気軽に帰省することができます。また、風抜きや掃除といった家を維持するための管理も、伝泊が宿泊施設として運営することで不要になるなど、オーナー側と伝泊側の双方にとってメリットが感じられる仕様となっています。
今回の実験的な取り組みを経て、今まで着手することのできなかった事例に応用するなど、継続的な実践を構想しています。
現在 伝泊ではドミトリータイプから高級ヴィラリゾートまで様々な形態・価格帯の宿を展開しています。山下は本来の奄美の文化を感じる滞在をするならば、古民家こそがまさに最適な宿だと考えている一方で、実際には高級施設の方に注目が集まっているという現状があります。そこで、一般的に古民家に抱かれるような「古い」「汚い」、だから「安い」というようなイメージを払拭するために、リビングにはYogiboやプロジェクターを設置するなどして、「伝泊 古民家」シリーズの中でもワンランク上の宿に挑戦しました。
より快適に過ごせるための工夫が多くの人を誘致することで、奄美の魅力を広く伝えていくことを目指しています。
2021年7月26日、奄美大島は世界自然遺産に登録され、世界から注目が集まっています。これからインバウンドをはじめとした、より多くの人がこの地を訪れることが予想される中、奄美の「シマ」に残るそれぞれの集落文化を守ることは使命であると山下は考えています。
現在、笠利町にある29集落との連携を深め、個性豊かなそれぞれの文化の継承を支援するとともに、その半分以上の集落に「伝泊 古民家」を拡充すべく着手しています。そして高付加価値な古民家宿泊施設のモデルケースの創出により、「量より質」の観光地を目指すことは、奄美のみでなく国内外の課題解決につながる手段の一つであるとしてより注力しています。
また、観光客以上に集落文化や住民に寄り添うことを大切にしている伝泊だからこそ、ゆくゆくは伝泊でない古民家やその墓、畑や山の手入れを請け負うための仕組み(有料)を作りたいと考えています。
「伝泊」の灯りがともる場所から活気の輪をひとつひとつ大きくしていくなかで、この波紋を全国へと広げ、集落に徹底的に寄り添ったまちづくりを推進します。
文責:奄美イノベーション広報部