価値のパラダイムシフトを起こす~①「伝泊 古民家」プロジェクト

価値のパラダイムシフトを起こす~①

「伝泊 古民家」プロジェクト

物語

奄美大島北部の小さな集落で生まれた山下は、大学への進学と同時に上京し、そこから世界で活躍する建築家になりました。しかし彼の中にはどんな時も決して薄れることのない、奄美への熱い想いが脈々と流れていました。

2012年、そんな奄美の集落文化が徐々になくなっていく現実を目の当たりにしました。奄美群島で育まれてきた歴史や文化、人が生まれてきた場所は常に「家」であったはずなのに、今ではその一部が空き家となり問題視されていたのです。

そこで山下は、「伝統・伝説的な建築と集落文化を次の時代に伝えていく」ことで島を守りたいという想いから、古民家を宿泊施設として再利用することを決めました。こうして2016年に生まれたのが「伝泊」なのです。

「建築家・山下保博として故郷の奄美にできることは何か。」その問いに関する答えは決して簡単なものではありません。しかし地域の声に寄り添い、一つ一つ問題に目を向けることで、少しずつ、でも着実に奄美の未来をデザインしています。

背景・課題

日本及び山下の故郷である奄美の空き家問題を解決する方法は、「プロジェクトのオーナーになり、宿泊施設に改修してお客さんに貸すこと」。

山下の取組

山下は奄美大島特有の建築・伝統的な集落文化を活かすべく、「伝泊」という形で宿泊施設をオープンし、集落住民と観光客の交流の場を提供。

効果・成果

「伝泊」は集落の声と経過する「時間」を大切にした上で、水回りを中心に改修し、宿泊者にストレスのない機能やデザインを実現。

今後の展望

集落文化を守ることが山下の使命であり、日本全国へ「伝泊」を展開することで地方の価値を再編集することを目指す。


背景・課題

日本と奄美の空き家問題

山下は、2005年から大学のゼミ生とともに古民家の研究をしたり、エチオピア日本大使館からの依頼で作るパビリオンにも日本の古民家を移築したりと、空き家の活用について様々な視点で考えてきました。また、日本全国の空き家率が13〜14%と、大きな社会問題となっており、山下の故郷の奄美大島も過疎化に伴った空き家問題に悩まされていました。

2015年3月に、山下は奄美でのリゾート施設の設計依頼を受けて月に2回は東京と奄美を往来することになりました。その施設は2017年11月に完成するのですが、この2年半の間に地域行政と集落の区長から空き家問題をなんとかして欲しいとの依頼を何度も受けました。

東京で、いくつかの建築の保存問題にも関わっていた山下は、その難しさを知っていましたが、台湾での建築講演会の際、友人でもある台湾建築家の行っていた手法が大きく参考になりました。それは至ってシンプルな解決策でした。

「プロジェクトのオーナーになり、宿泊施設に改修してお客さんに貸すこと」

山下の取組

「伝泊」のスタート

行政や地域の人たちは、空き家は防犯上問題だと口にはしますがお金を出してまで守ろうとはしません。所有者も都会に出ていることが多いため、祖先の古い建物にお金をかけることには消極的です。奄美には360以上もの集落があり、それぞれの文化が少しずつ異なっていることが奄美大島の宝物だと、山下は考えています。各建物がその集落文化を担っている重要なものであるからこそ、集落外の人間が所有することに躊躇した山下は、10〜15年契約の賃貸で安く借り、自らの資金で2棟分を改修し簡易宿所の許可を取り、2016年7月に「伝泊」をオープンしたのです。山下自身、その時を振り返ると大きな賭けだったといいます。どんなに国内外で宿泊した経験があったとしても、家具や備品消耗品を揃えるなどといった、0の状態から宿泊施設運営を始めるのですから。

「伝泊」では、

「伝統的・伝説的な建築と集落と文化を次の時代に伝えるための宿泊施設です。旅に物語を求める人のために、地域の人との出会いの場も提供します。」

というコンセプトを掲げています。

具体的には

①島の伝統的構法を7割以上残す建物である、もしくは島にとって伝説的な建物であること
②島の魅力を体感できるロケーションであること
③集落の人たちが協力的であること

を守ることを条件としていました。これらに合致する空き家を選び、可能な限り建物としての歴史や良さを残しつつ、滞在する人が快適に過ごし、集落と交わるような空間を作りました。

価値のパラダイムシフト
グレー色は時間の経過を、黄色は台風対策の植物「フクギ」の染め色を表現

当初、奄美で山下が設立した設計事務所「株式会社 奄美設計集団」のスタッフ2名とともに施設の運営をスタートした「伝泊」は、お客さんの温かな支持を受けて稼働率を上げていき、およそ半年目で黒字に転じます。そうすると地元の銀行との協力体制が組まれてさらに3棟分の資金提供を受け、合計5棟の伝泊が稼働します。また他の地元銀行が伝泊のコンセプトとそのまちづくりへの姿勢に賛同して大きな資金提供を行ってくれたことで、奄美大島北部笠利町の7棟、加計呂麻島の2棟、徳之島の6棟と拡大し、地域交流の拠点となる「まーぐん広場+伝泊ホテル」の建設もスタートしました。2016年6月には伝泊の運営会社「奄美イノベーション株式会社」を設立し、2018年4月に運営専属のスタッフ15名(地元雇用8割)とパート10名(地元雇用10割)とともに本格的なまちづくりをスタートさせたのです。

奄美の伝統建築の7つの条件

奄美大島の建築は、東南アジアと琉球と薩摩の伝統建築の流れのほか、台風や湿気、ハブ対策による影響を受けています。島が経済的に豊かでないため建材に適した材料を輸入できず、地元産の細い曲がった広葉樹のみで作らなければならなかったことから、奄美大島独特の建築文化が生まれました。その伝統建築の定義付けを、文献と博物館の学芸員の力を借りて行いました。

これは、山下が考える奄美伝統建築の7つの条件です。

①台風対策のための珊瑚石や生垣・防風林やブロック塀

敷地の周りは、最大瞬間風速40~60mの風に耐えうるための1.5〜2mの高さの塀が設けられています。昔の素材は珊瑚石や生垣・防風林でしたが、最近はコンクリートブロック塀に変わっています。その理由は珊瑚石が法律による規制で採取できなくなったことと、車道のための道路拡幅が必要になったからです。
②分散型の配置計画

上記したように、建築材料が細く曲がったものが多いこと、台風の影響が非常に強いことが理由で大きな建物を造る技術も発達しませんでした。そのため敷地内には、母屋と水屋と家畜小屋、納屋、便所等小さな建物が3〜5棟配置され、困難であった水の取得を解決するための井戸も必ず設けられています。少し裕福な家には、奄美独特の穀物保存倉庫である高倉が敷地内に現存する家もあります。
③平屋と屋根形状の歴史

風が強いこと、建築的な技術があまり発達しなかったことから、奄美群島全域で平屋が多く見られます。屋根の形状は、大きくは二つの地域からの影響を受けています。奄美大島南部は琉球の影響を受けた寄せ棟造りが多く、北部は薩摩の代官屋敷が置かれていたこともあり、薩摩の影響を受けた格式の高い入母屋造りが多く見られます。
④高床

東南アジア及び琉球の影響を受け奄美大島全域の民家は高床式で建てられており、床の高さは琉球よりもわずかに高い約60〜75cmです。高床の理由は三つあります。湿気対策とハブ及び害虫対策、そして特に重要なのが台風の強い風を上下に受け流すことで、石場建てで固定されていない建物が倒れないようにと計画されています。
⑤ヒキモン構造

奄美は、バリ島や東南アジア地域からの影響で、束石の上に乗せただけの柱が土台を貫通して梁まで伸びている「ヒキモン構造」が多く見られます。これも台風対策の一環で、足元周りや建物全体の強化をするための先人たちの知恵です。
⑥独特の平面計画

母屋の間取りはメインの部屋(オモテ)を外廊下で囲い込み、その廊下が玄関の役割も果たしていたため、古民家では玄関が存在しませんでした。それぞれの用途を持つ建物は分散配置でしたが、最近では外にあった便所が廊下の先に設置され、台所も昭和に入って母屋に付き、半屋外の作業場としても活用されていました。
⑦奄美の材料

奄美には、さまざまな植物がみられますが、建材として優れたものは取れませんでした。それでも、シロアリに強い曲がった柱や梁材をうまく利用して組み立てています。屋根は茅ぶきでしたが、ほとんどの建物は昭和に入りトタン屋根に葺きなおされています。また清めのために庭に珊瑚石や海砂を敷き詰めた家も多くみられます。

効果・成果

笠利町における「伝泊 古民家」

山下の出身地でもある奄美大島北部の笠利町が「伝泊」発祥の地となった理由は、三つあります。

①江戸時代は奄美大島全体の行政の中心地として栄えた場所で、現在は奄美空港からも近く、綺麗なビーチが数多くあること。
②山下の出身地であるため、関係者が多く、まちづくりには適していたこと。
③奄美古来の集落文化が色濃く残っている集落が数多くあったこと。

これらを踏まえて2016年7月、笠利町に誕生したのが「港と夕陽のみえる宿」「小路ぬける砂浜の宿」の2棟です。

港と夕陽のみえる宿
小路抜ける砂浜の宿

集落の声を聴き「時間」に焦点を当てる

現在、日本各地で古民家を改修し宿泊施設になっているケースが多くみられますが、そのほとんどが建設当時の姿に復活させ、その時代の空間を楽しむことに焦点を当てています。

しかし、山下は「時間」を大切にする建築家であること、「伝泊」が集落の中にあることを踏まえ、経過する「時間」の声を聴き、建物の外観や庭を現在の集落と違和感のないものに仕上げています。内部に関してもその家の持つ伝統や歴史に敬意を払いきちんと残しつつも、水回り(キッチン・お風呂・トイレ)の改修に力を入れ、宿泊者にストレスのない機能やデザインに仕上げています。

水平線と朝陽の宿

2019年古民家5棟が改修され、笠利町に全部で7棟の「伝泊」が誕生しました。

高倉のある宿
風ぬける川辺の宿
はたおり工房のある宿
アダンと海みる宿

今後の展望

2021年7月26日、奄美大島は悲願であった世界自然遺産に登録され、世界から注目が集まっています。これからより多くの人がこの地を訪れることが予想される中、奄美の「シマ」に残るそれぞれの集落文化を守ることは、文化のバトンを受け継いだ私たちの使命であると山下は考えています。今後笠利町での拡充に加え、奄美群島で集落文化が色濃く残る特徴的な地域へ、さらに「伝泊」を展開していきます。

また空き家問題は奄美大島だけのものではなく、日本各地で共通している社会問題です。2019年には「伝泊」をより拡大させていくための「株式会社 伝泊+工芸」を設立し、全国への展開に着手しつつあります。

昨今のコロナウイルスの蔓延がきっかけとなり、都市への一極集中から地方分散へ、大きく価値のパラダイムシフトが起きています。「伝泊」はこの社会の流れを加速させる存在であると自覚し、地方の価値の再編集を進めることに注力していきます。

文責:奄美イノベーション 広報部


<本プロジェクトの受賞歴>

2020年 国連世界観光機関(UNWTO審査機関)第6回ジャパン・ツーリズム・アワードにて 最優秀賞「国土交通大臣賞」/「UNWTO 倫理賞」を受賞

2022年 第12回 地域再生大賞「優秀賞」受賞

<本プロジェクトの掲載情報>

●雑誌・新聞

日本経済新聞2019年12月24日付

日本経済新聞2019年12月12日付、未来面「地方で育む日本の未来」

JALカードの会員向け情報誌「AGORA」2019年10月号

日刊工業新聞2018年3月30日付

「日経アーキテクチュア」2018年4月12日号

SKYMARK 機内誌「空の足跡」 2021年10・11月号

●書籍

発行公益社団法人日本観光振興協会季刊「観光とまちづくり」

日本離島センター「季刊しま」

●web

「地球の歩き方」ホームページ、「伝泊 古民家」の「はたおり工房のある宿」掲載

「YOLO」

「FUTURE IS NOW」

 観光産業ニュース「トラベルボイス」

デザインのWEBメディア「URBAN TUBE」

 「URBAN RESEARCH MEDIA」

「URBAN TUBE」

「コロカル」
「島宿.net」
「LIFULL HOME’S PRESS 」

●TV

MBC南日本放送




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