捨てる神あれば、拾う神あり 「エチオピア・ミレニアム・パビリオン」

捨てる神あれば、拾う神あり

「エチオピア・ミレニアム・パビリオン」

物語

山下は学生時代から建築の歴史家に師事し、古民家の調査・研究に携わってきました。その中で見えてきたのは、日本全国に様々な古民家が残されており、その多くが見捨てられている現状でした。しかしその中には貴重な素材や、質の高い手仕事の成果が残されているのです。

魅力ある古民家やその素材の声を聴き、古民家になんとか日の目を見せたいために様々な方法を考えました。その一つの方法として、欲しいと思う人や場所に手渡す方法「移築」を採用しました。

山下は島根の古民家を、アフリカ最古の独立国であるエチオピアに移築し、日本とエチオピアの文化交流施設として再生することに成功しました。また、移築に必要な運搬にかかる二酸化炭素の排出量を科学的に産出し、焼却より移築の方が排出量が少ないことを確認しました。

この取り組みによって、これまで見捨てられていた島根とエチオピアの古民家に、光り輝く活躍の場を与えたのです。

背景・課題

2005年から慶應義塾大学での古民家研究のゼミを開始し、島根県の集落の調査と、江戸時代の住環境の研究を行う中、いくつかのプロジェクトが進行。

山下の取組

エチオピア暦の2000年、日本とエチオピアの架け橋となる「日本文化会館」をゴンダール市に寄贈する企画案として山下の案が選ばれ、両国の古民家に着目した。

効果・成果

エチオピアと日本の見捨てられた古民家を活用した文化会館の建築を進める中で「7:3の価値の再編集の法則」を生み出した。

次なる展開

日仏交流150周年記念の仏での展覧会場となる「自然発光するエネルギーゼロのパビリオン」と「2016年東京オリンピック選手村プロジェクト」を提案。

今後の展望

「捨てる神あれば、拾う神あり」という言葉は、移築プロジェクトにとって大事なキーワードであり、日本中にある大事な資産を守ることにつながる。


背景・課題

古民家との出会い

山下は、設計事務所を立ち上げた30代前半から、様々な大学で非常勤講師・客員教授として約25年間教えてきました。母校である芝浦工業大学、東京理科大学、東京大学、金沢工業大学、九州大学、その中でも2005年から約5年間、慶應義塾大学で行った授業及び古民家研究のゼミは、建築家の山下にとって大きな転期となりました。

 恩師で建築史家である三宅理一先生から引き継いだこのゼミは、山下が学生の時から続けている息の長い研究でした。研究初期の1981年から2年間は岡山県牛窓で、100年以上経った古民家を40軒近く実測・調査しており、建築の専門誌で初めて個人の名前での論文を発表しました。

このゼミの活動地域の中心は、島根県でした。出雲大社のある島根県は、太古から森や木によって文化が育まれているほか、江戸時代後期の7代藩主松平治郷(不昧公)による治水工事と財政再建により、地元産の木材と石州瓦が重宝されていることなどが影響し、今なお築150〜200年の古民家が残っている集落が多く存在しています。しかし、過疎化の影響でその古民家の多くが空き家になり、問題視されていました。

ゼミでの研究内容は、県内の各集落の実測調査を年に数回行い図面にまとめていくこと、江戸時代の住環境と生活環境を環境配慮の視点から見直すこと、調査・研究を元に理想的な生活の豊かさを探究することでした。

その後、独立し建築設計事務所を営む中で、古民家を活用したプロジェクトをいくつか提案し、実現してきました。

山下の取組

アフリカ最古の独立国、エチオピア

エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和国で、アフリカ最古の独立国です。

このプロジェクトの内容は、エチオピア暦の2000年に合わせて、在エチオピア日本大使館から、日本とエチオピアの架け橋となる「日本文化会館」を寄贈するというものでした。関係者からの依頼で企画案を提出し、選ばれたのが山下の案でした。

建設の場所は、エチオピア第二の都市、ゴンダール市。17〜18世紀にゴンダール朝の都として栄え、町の中心部にある宮殿ファジル・ゲビが、世界遺産に登録されている古都です。

ゴンダール市・宮殿ファジル・ゲビ

日本とエチオピアの架け橋となる環境装置

要望された施設の用途は、両国の交流行事や音楽・舞踏などの芸能、それらに関連する展示・販売等を行う社会・文化施設でした。

そこで山下は、両国の伝統的でありながら見捨てられた住居とエチオピアの環境に配慮した自然エネルギーの活用及び水資源の確保に着目し、提案しました。

「エチオピア・ミレニアム・パビリオン」コンセプトダイアグラム

エチオピアと日本の見捨てられた古民家

エチオピアの伝統的な円形住居は、シンプルな石積みの壁と木造の屋根組みで構成されています。現地の人々は、少し豊かになるとコンクリート造りの家に移り住みます。昔から使われてきた円形住居は、古くみすぼらしいものと考えられ、使われなくなった石積み住居の多くが打ち捨てられていました。

同じように島根県では、客殿として100年以上前から使われていた建築が焼却される寸前でした。異なる文化を持つ建物は、場所を変えることで脚光を浴び、主役になりえるのではないか。その想いで移築のプロジェクトがスタートしましたが、実際には様々な困難に直面します。

日本の古民家の輸送とCO²の排出量

このプロジェクトには、大きな問題点が2つありました。1つ目は、どうやって島根県からエチオピアまで運ぶのか。2つ目は、移築することでCO2の排出量が増えるのではないか。

1つ目は、調べ上げると2〜3週間で目星がつきました。寄贈された古民家を1週間かけて解体した後、柱や梁、障子などの躯体をコンテナへ積んで、島根県浜田港〜韓国・釜山港〜アラブ首長国連邦・ドバイ港〜陸路でエチオピア・ゴンダールへと輸送するルートです。

2つ目は、様々な資料を参考にしながら、古民家を解体・焼却した場合と移築した場合のCO2の排出量を試算・検証しました。

面積約17坪の古民家の解体により生じる木材6,453kg を焼却した場合、約10.6トンのCO2が発生するのに対して、移築のために木材をトラックと船舶で輸送した場合は、約2.2トンのCO2排出量にとどまります。

つまり、今回のプロジェクトは、約8.4トンのCO2排出量を削減させるものだと証明したのです。

CO2排出量の試算ダイアグラム

エチオピア人が日本建築を建てる

ゴンダールでは、柱や梁の躯体と障子の桟以外の材料はすべて現地で調達し、山下とスタッフ監修のもとで、現地の職人が組み立てるという前代未聞の方法しか手段がありませんでした。何故なら、このプロジェクトの資金集めも山下を中心にNPO法人を立ち上げて行ったため、常に資金不足に悩まされていたのです。

土台をつくる際には、建物を基礎に緊結せずに、基礎石の上に柱を乗せるだけの日本独自の伝統構法「石場建て」を採用しました。日本館の構造は、柱や梁を組み上げていく木造軸組工法で、石積みに慣れている現地の職人たちにとっては、その工法は初めての経験でした。

日本館の躯体以外は、現地の材料を使っています。障子には、和紙の代わりに地元特産の薄い布を貼りました。屋根は、竹シートの上に防水のためにトタンを葺き、その上からパピルスを葺いています。エントランスは、石積みの塀とユーカリの木の柵で囲い、地面には石を敷き、建物と庭が融合する日本建築の空間に見立てました。

エチオピアの素材と、現地の職人の手によって、捨てられるはずの日本の伝統的古民家は再生し、新しい命が吹き込まれました。

効果・成果

山下が語る「価値の再編集、7:3の法則」

エチオピア館は、見捨てられていた伝統円形住居を移築し、現地の構法で建て直しましたが、その途中でいくつかの山下のアイデアが盛り込まれました。

伝統的なモノに対して敬意を払うため7割は既存のものを継承し、3割だけ新しいものを加えるというスタイルを選択したのです。

ここでの3割は、3つの要素に集約されます。

①日本から持ち込んだガラスブロックを、石積みの壁の上に積んでハイサイドの窓とし、空間に光をもたらす。
②屋根を支える梁組みを、必要最小限の構造だけで成立させる。
③近隣の世界遺産でもあった古い教会のデザインを参考に、伝統的な編み天井に再編集する。

この3つの新しいデザインによって、本来の姿を残しつつも室内の空間に大きな変化をもたらしました。

捨てる神あれば、拾う神あり

正にこの言葉通り、見捨てられていた日本の古民家とエチオピアの円形住居が、「エチオピア・ミレニアム・パビリオン」の日本館、エチオピア館として生まれ変わりました。使われなくなった建築を社会、文化の異なる環境に移築し、3割の新しいデザインを加えることで、伝統と革新の融合による「価値の再編集」を実現したのです。

このような新しいプロジェクトを現実化するには様々な困難がありましたが、経済的には豊かでない子ども達に夢を与えるようなプロジェクトであったことは確かです。

また現代におけるSDGs的な取り組みをする上でも、重要かつ具体的なプロジェクトであり、その後の「伝泊」に繋がっていくのです。

次なる展開

古民家を利活用する上で、素材利用・改修・移築といった方法があると思いますが、移築には大掛かりな作業を伴います。そのため、残念ながら現実化しなかったプロジェクトもあります。それは、「日仏交流150周年記念 ホ・タ・ル maison luciole」「2016年東京オリンピック選手村プロジェクト」ですが、現実化したプロジェクト「YACHIYO」もありました。

自然発光するエネルギーゼロのパビリオン

2008年、日仏交流150周年記念の展覧会場として提案したプロジェクトです。この展覧会自体がエネルギーゼロで運営できるシステムの構築と、建築そのものが自然発光する「蛍」のような展覧会場を計画しました。

当時関係者の中で、日本の古民家の軸組みをフランスの美術館に移築するプロジェクトがありました。それを3ヶ月間お借りして、「構造補強+防水+断熱+エネルギー採取+発光」の機能を持つ新素材でラッピングするというものでした。また、入場料が無料の代わりに、薄暗い室内を見て回るための照明は、自ら生み出して入場するというアイディアを盛り込み、実作に至る直前まで進んでいました。しかしフランスの行政が敷地として選んだ、エッフェル塔の足元のシャン・ド・マルス公園の使用許可取得に時間がかかってしまったため、諦めざるを得ませんでした。

日仏国交150周年「Alternative for Earth – Climate change and Architecture -」
統括: 国土交通省, 日仏建築住宅会議実行委員会

2016年東京オリンピック選手村プロジェクト

東京都からの依頼で、慶應義塾大学の学生達と2016年のオリンピック村について提案したものです。全国各地で空き家となっている伝統的古民家を移築し、オリンピック選手村として活用するという大胆なプロジェクトでした。世界中のアスリートに日本の住文化を体感してもらうと共に、利用後は高付加価値な建築として販売する計画でした。残念ながらオリンピックが不採択だったため、採用には至りませんでした。

オリンピック選手村 (2016年 計画案)

「YACHIYO」

この建築は、100年以上経過した2つの小さな蔵を島根県から神奈川県の葉山に移築し、ギャラリーとして活用したプロジェクトです。

古民家を一旦解体して葉山に運び、敷地で再構築し、それを防蟻と防塩の処理を施した断熱パネルで包みました。床の素材には80年前の上海のレンガや、既存の蔵の板材を使用しました。そのほか、民家で使用していた木製建具を透明なパネルで包み、玄関扉として再現するなど、新旧様々な素材が地域や国を超えてこの空間で再構築されています。

昼間は壁や構造体の隙間から自然光を取り込み、特別な時間の流れる空間を演出しています。夜は、手作りの琉球ガラスの照明器具が空間に蛍のように点々と浮かび、憩いの空間をつくりだします。

今後の展望・展開

「捨てる神あれば、拾う神あり」という言葉は、移築プロジェクトにとって大事なキーワードです。日本中にある大事な資産である日本の古民家を必要とする人に届ける、そんなプロジェクトが増えることを願っています。

山下はいつか「集落丸ごと」というような大々的な移築のプロジェクトをやってみたいとも語っており、今後もさらなる挑戦で私たちを驚かせてくれるでしょう。

文責:アトリエ・天工人 広報部


<本プロジェクトの掲載情報>

●雑誌・新聞

新建築 2009年11月号(新建築社)

ディテール 2010年10月号別冊 アトリエ・天工人/素材・構法からの建築(彰国社)

●書籍

「Listen to the Materials」2012年3月(フリックスタジオ)

「tomorrow 建築の冒険」2012年10月(TOTO出版) 

「天工人流 仕事を生み出す設計事務所のつくりかた」2009年5月(彰国社)




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